しもえもんのぶろぐ

しもえもんのブログ。思ったことを思ったままに。合唱好きの高専生。

このブログの内容は、ブログ管理者の所属する団体とは無関係です。

「合唱が好き」とは?

僕は合唱が好きだ。皆で合唱することが好きだ。一緒に合唱する仲間が好きだ。合唱ができる場所が好きだ。

でも、わからない。「合唱が好き」ということは、どういうことなのか?

 

最近、僕は2つのコンクールに出場することができた。結果はどちらも銅賞。悔しい結果ではあったが、とても達成感があった。

それは、一緒に合唱する仲間がいたからだ。大切な仲間と一緒に合唱ができたこと、それだけでとても充実していた。

この充実は、僕が「合唱」という行為そのものを「崇高なモノ」と認識しているからなのかもしれないし、合唱できる場所がないために合唱ができなかったという過去を持っているからなのかもしれない。

 

では周りはどうだろう。僕以外の他の人は、どういう思いでコンクールを終えたのか?

Twitterという狭いコミュニティの一部を垣間見るだけで、多種多様な思いがあったことが分かった。

多くを占めるのは、金賞で嬉しいだとか、銀賞だけど上位だったから嬉しいだとか、あの審査員の先生が高評価してくれただとか、そのようなものだった。その背景に、今までの努力が実ったことへの喜びが溢れていることも分かる。

確かにコンクールというものは、各学校の涙ぐましい努力の先にあるものなのだから、そのような感情があって当然なのだろう。

だからこそ、わからない。僕は「合唱が好き」なのだろうか?

 

様々なスポーツと違って、音楽には明確なルールがない。

多くの人が「この演奏は凄い」と思っていても、審査員の先生方がそう判断しなければその人たちが思った結果にはならない。逆もまた真で、多くの人があまりよく思わなくても、審査員の先生方が良いと判断すれば結果がつく。

音楽は難しく、繊細なものだ。

でも、楽譜という目印を頼りに、何かを、形の見えない何かを目指すことはできる。

審査員の先生方に好まれる演奏を目指す人もいるだろう。審査員の先生方に限らず、演奏を聴きに来てくれた顔も知らない誰かに感動してもらえるような演奏を目指す人もいるだろうし、自分たちが満足できる演奏を目指す人もいるだろう。

コンクールの場合、同じ舞台で同じ天秤にかけられるが、目指す演奏は確実に違う。それこそが音楽の面白いところだと思う。

 

色々なカタチがあって、きっとそれでいいんだろう。僕の考える合唱は、皆の考える合唱とは違うはず。

合唱に携わる人それぞれが、自分にとっての合唱はこういうものなんだ、そんな「合唱が好き」なんだという思いを持っていれば、それでいい。

 

僕はやっぱり、合唱が好きだ。